概要
マキバオーの歌を久しぶりに聞いた。
曲調も歌詞も明るく、前向きなはずなのに、なぜか涙が出そうになった。
なぜだろう、と考えてみたら、その理由はマキバオーの「一生」にあった。
今回はマキバオーを通して、「ピーク」と「幸せ」について考えてみたい。
マキバオーの人生は、かなり過酷
マキバオーの一生を簡単に振り返るとこうだ。
生まれた時はロバと蔑まれ、馬肉になりかける。
そこから紆余曲折を経て、日本一のレースに出場し、勝利する。
しかしその後、怪我をきっかけに「終わった馬」と言われ、負け続ける。
そして最後のレースで、弟と激戦を繰り広げ、2着で終わる。
いわゆる「一瞬だけ頂点に立ち、その後は転落していく物語」だ。
明るい歌が、なぜ切ないのか
マキバオーの歌詞は、日本一のレースに出た時の話が描かれている。
最初のサビでは「走れ走れ〜」で始まり、最後のサビは「走れ走れ走れ走れ」と何度も繰り返される。
これは、多くの人が一斉にマキバオーを応援している様子を表している。
だからこそ、その後の「落ちぶれた姿」との対比が強烈になる。
一瞬の輝き。
そして、その後に訪れる静けさ。
馬やセミは分かりやすいが、
ピークの瞬間だけ注目され、それ以外は見向きもされない存在は、人間にも当てはまる。
自分のピークは、もう終わっているのか?
ここで、自然と自分に問いが向いた。
自分の人生のピークは、
これから来るのだろうか。
それとも、もう終わっているのだろうか。
ただ、この問いは「ピークは何を定義するか」で、答えが全く変わる。
- 収入
- 地位
- 人気者度
- 幸せ
- 人生の意味や納得感
どれを基準にするかで、ピークの位置は簡単にズレる。
世代ごとに、ピークの基準は違う
整理してみると、幸せだと思う価値基準は世代ごとに大きく変わる。
- 0代:人気者度、運動神経
- 10代:人気者度、勉強、部活、友人
- 20代:挑戦量、恋愛、友人
- 30代:成果、収入、地位
- 40代:人生の納得度、孤独(逆指数)
- 50代:縛りの少なさ、孤独(逆指数)
- 60代:健康、孤独(逆指数)
こうして見ると、0~30代までは、他人との比較を軸に幸せを判断しているように思う。
40代以降になると「比較」ではなく、「区別」へと変わり、他人ではなく自分へと基準がシフトしていくように見える。
よって「若い頃の基準」で人生全体を評価すること自体が、ズレているのかもしれない。
幸せの方程式を考えてみた
ここで、幸せを無理やり数式にしてみる。
幸せ=各世代の価値基準(100) − 価値基準に対する後悔の数
例えば、子供時代。
私は人気者ではなかったので、当時は幸せではなかったと感じている。
数式にすると、
幸せ20 = 人気者度100 − 人気者になれなかった後悔80
こんなイメージだ。
後悔を減らすという考え方
この式から分かるのは、
「次の世代の価値基準を意識することで、後悔は減らせる」ということだ。
今だけの基準で生きるのではなく、
次に何が大事になるのかを少し意識する。
それだけで、各世代の「100」に近づける気がする。
幸せは、後からやってくる
もう一つ思ったのは、
幸せはその瞬間には気づけない、ということだ。
幸せは、
今感じるものではなく、
後になって振り返った時に、ようやく分かるものなのかもしれない。
マキバオーの歌が切なく感じたのも、
「一瞬のピーク」ではなく、
その前後を知ってしまったからだ。
まとめ
人生のピークは、一つではない。
そして、ピークの基準は年齢とともに変わる。
大事なのは、
「いつがピークだったか」ではなく、
「その世代の基準で、どれだけ後悔を減らせたか」。
マキバオーの歌は、
そんな当たり前だけど忘れがちなことを、
静かに突きつけてきたように感じた。
明るい歌なのに、少し泣きそうになった理由は、
きっとそこにあったのだと思う。


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