概要
子供ができる前、私はデメリットばかり考えていた。
お金がかかる。自由が減る。時間がなくなる。
だが本当にそうなのか。
制限が増えることは、必ずしも損なのか。
考えてみると、子供ができることは「失う」ことではなく、
強制的に成長の環境に置かれることなのかもしれない。
本質の深堀
子供は「一生の仲間」である
人は歳を取るほど仲間が減る。
友人は環境で変わり、仕事仲間は利害で繋がっている。
しかし子供は違う。
血縁という強烈な関係性の中で、人生を共にする存在だ。
子供は弟子のようであり、
同時に自分を鍛える師匠でもある。
自分の言動はすべて見られている。
ごまかしは効かない。
その存在があるだけで、自分の在り方を問われ続ける。
「自由」は必ずしも幸福を生まない
「自由があれば幸せになれる」
多くの人はそう考える。
しかし社会学者エミール・デュルケームは、
ある興味深い研究結果を残している。
宗教的な共同体に強く属している人たちよりも、
特定の信仰を持たない、より“自由な立場”の人たちの方が、
自殺率が高かったというデータがある。
なぜそんな差が生まれるのか。
大きな理由は二つだと考えられている。
① すべてが「自己責任」になるから
宗教を持たない、完全に自由な立場では、
人生の成功も失敗も、すべて自分の責任になる。
うまくいかなかった時、
「運命」「神の意思」「試練」といった
“受け止める枠組み”がない。
そのため、失敗=自分の価値の否定
と感じやすくなる。
自由であるほど、
責任の重さは増す。
② 「所属する場所」が弱くなるから
宗教には、教会や集会といった
人と人が繋がる場がある。
定期的に顔を合わせ、
価値観を共有し、
自分の存在を確認できる。
一方、完全に自由な個人は、
どこにも属さなくても生きられる。
だがそれは同時に、
孤立しやすい状態でもある。
つまり何が言えるのか
完全な自由とは、
- すべて自己責任
- どこにも属さない
- 誰のためでもなく生きられる
という状態である。
一見理想的だが、
それは同時に「孤独」と「重圧」を生む。
子供がいることの意味
子供がいると、
- 強制的に家族というコミュニティができる
- 自分以外の存在のために考える理由ができる
- 完全な自己完結では生きられなくなる
それは自由の制限のように見える。
だが視点を変えれば、
それは人間を孤立から守る構造でもある。
誰かのために生きる理由があること。
どこかに必ず帰属する場所があること。
それは「縛り」ではなく、
人間を健全に保つ仕組みなのかもしれない。
人間は「満たされると止まる」
一人で生きていれば、極論、現状維持で困らない。
最低限食べられて、寝られて、自由があればいい。
しかし子供が生まれると、
- お金をどうするか
- 将来どうするか
- どう育てるか
と考えることが一気に増える。
考えることが増えれば、学ぶことが増える。
学べばできることが増える。
できることが増えれば、成長を実感できる。
そして人間は、
成長を実感した瞬間に幸福を感じる生き物だと思う。
子供ができて削ぎ落とされたもの
子供ができると、不思議と無意味なものが減る。
- 洋服への過度な浪費
- 無駄遣い
- ギャンブル
- ゲームへの依存
時間もお金も有限だと、強制的に理解させられるからだ。
本当に必要なものだけが残る。
子供は、自分の外側の視点をくれる
子供は時に、大人が見落としていることを言う。
純粋で、損得がなく、
まだ固定概念に染まっていない視点。
その言葉にハッとさせられることがある。
自分の中だけで完結していた思考に、
風穴を開けてくれる存在。
まとめ
子供ができることは、
自由を奪われることではない。
- 生涯の仲間ができる
- 無駄が削ぎ落とされる
- 強制的に成長環境に置かれる
- 自分の外側の視点を得られる
そして何より、
「自分のため」だけでは動かなかった人間が、
「誰かのため」に本気で考えるようになる。
それは負担ではなく、
人生に意味を与える構造そのものなのかもしれない。
子供は守る存在であり、
同時に、自分を進化させる存在でもある。


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