本当に「喧嘩するほど仲がいい」は正しいのか?

本質Note

概要

「喧嘩するほど仲がいい」という言葉は、昔から当たり前のように使われている。
私自身も、疑うことなくその言葉を信じていた。

ある日、子供が友達との喧嘩をきっかけに
「〇〇ちゃん嫌い」と言った。

その時私は、
「喧嘩するほど仲がいいって言葉があるんだよ。
ママとあなたもよく喧嘩するでしょ?
でもママのこと大好きでしょ?
仲が良くても喧嘩することはあるんだよ」

そう伝えた。

しばらくしてから、子供がぽつりと聞いてきた。
「ねえ、本当に喧嘩するほど仲がいいの?」

この一言で、
自分が何も考えずに言葉を使っていたことに気づかされた。

本質の深掘り

まず「仲がいい」とは何か

言葉を疑うために、定義をはっきりさせる。

仲がいい状態とは何か?
それは、
「お互いが相手のことを大切だと思い、関係を維持したいと考えている状態」
だと思う。

では次に、喧嘩とは何か。

喧嘩の定義

喧嘩とは、

  • 考えや主張をお互いに譲らない
  • 相手を理解しようとしない
  • その結果、言い争いや殴り合いになる

こうした状態を指す。

ここで、すでに矛盾が生まれている。

相手を大切に思い、
関係を維持したいと考えているなら、
前提として「理解したい」という気持ちが生まれるはずだ。

理解しようとする気持ちがあると何が起こるか

仲がいい関係でも、
意見が違うことは当然ある。

ただし、
相手を理解したいという前提がある場合、怒りは発生しにくい。

例えばこんな場面。

A:
「夜、子供が泣いて大変だったんだけど、
どうして帰る時間を連絡してくれなかったの?」

B:
「パワハラ上司に無茶振りされて、
今日中に終わらせろって言われてさ。
連絡する余裕がなかった。
心配かけてごめん。次から気をつけるね」

A:
「そんなことがあったんだ。
それは大変だったね」

このやり取りでは、
意見や不満は出ているが、喧嘩にはなっていない。

なぜか。

それは、
お互いに「理解しよう」という姿勢があるからだ。

喧嘩が起こる本当の条件

喧嘩が起こる時は、

  • 片方、もしくは両方が
  • 相手を理解しようとしていない

この状態になっている。

つまり、
喧嘩は「仲がいい証拠」ではなく、
理解を放棄した瞬間に起こる現象だ。

まとめ

「喧嘩するほど仲がいい」という言葉は、
安心させるための方便として使われてきたのかもしれない。

しかし本質的には、

  • 仲がいい=相手を理解したいと思っている
  • 喧嘩=相手を理解しようとしない

この二つは、同時には成立しない。

仲がいい関係でも、意見の衝突はある。
ただし、理解しようとする気持ちがある限り、
それは喧嘩にはならない。

子供の
「本当に喧嘩するほど仲がいいの?」
という問いは、とても正しかった。

言葉をそのまま信じるのではなく、
一度立ち止まって、本質から考えることの大切さを
改めて教えられた気がする。

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