概要
子ども21人(連れ子含む)、バツ7。
世間的には破天荒だろう。
だが生物として見れば、子孫を多く残している強いオスとも言える。
賛否は当然ある。
それでも、彼の言葉には妙な一貫性がある。
今回は、その言葉と、それに対して私が感じたことを書いてみたい。
本質の深掘り
ビッグダディの言葉①
子育てで悩むことはない、犬や猫でも動物は子供を大人にするために行動している。難しいことなんてない。悩む時間がもったいない。
私の思考
現代は「正しい育て方」を探しすぎているのではないか。
本来、子育ては技術論ではなく関与の問題だろう。
正解を探す時間が長いほど、当事者としての覚悟は薄まる。
悩むことが誠実なのではない。
向き合うことが誠実なのかもしれない。
ビッグダディの言葉②
自分の生活レベルが下がることを理由に子供を作らない現代人が多いが、そんな奴は子供を作らなくてよい。昔は食うものを我慢して子供を大学に行かせるなんて言葉があったが、美しいと思う。離島で子育てすることが多く、食べ物に困ったりしたことが多々あったが、親がどんな思いで育ててくれたのかというのは、貧しい方が伝わりやすいと思う。ふと見たテレビのインタビューで若者に父の事をどう思うか?と聞くと「たまたま縁があって家族になった人」と答えていて日本はやばいと思った。余裕がありベビーシッターなどに子供を任せてる現代人が多いが、親として子供に自分を削る姿を見せることは子供の記憶に残りやすく親子の信頼関係が強くなるものである。
私の思考
豊かさは増えた。
だが“濃さ”はどうだろうか。
削るという行為は、効率の真逆にある。
しかし、削る姿こそが記憶に残る。
子どもは「与えられたもの」より
「背負ってくれたもの」を覚えているのではないか。
ビッグダディの言葉③
血のつながった子供が1人でもいて、子育ての良さを知れば、連れ子だろうが血のつながりは大した問題ではない。むしろ、自分の子供は自分の血が50%入っているから自分色に育てやすいが、全部つながっていない方が自分の親としての資質が分かるので新しい奥さんの連れ子がいると嬉しい。
私の思考
血縁関係がない連れ子をDVするというのは聞くが、この考えは衝撃を受けた。
血縁関係は安心材料にはなる。
だが本質ではないのかもしれない。
むしろ血が混ざっていない方が、
「自分の器」が露呈する。
遺伝ではなく関与。
所有ではなく責任。
親という役割を“本気で引き受けるかどうか”が問われているのだろう。
ビッグダディの言葉④
子育てで悩む時間は無駄だ。子供は全幅の信頼をして親に接してくる為、自分の思うとおりに子育てをすればよい。私は11人兄弟だが、自分は兄弟がたくさんいてよいなと思ったが、姉は兄弟が多いのが恥ずかしいと言っていた。性格は、育てかたよりもその人の持つ感性の方が上回る。お前が思うように子供は育たないんだよということ。だから悩む必要なんかない。勿体無い。
私の思考
普通は子供は親の写し鏡の様に考えてしまいがちで、悪い面を見ると自分の育て方に責任を感じてしまうものだ。
だが、同じ環境でも、感じ方は違う。
それは子育ての限界でもあり、人間の独立性でもある。
思い通りに育たない前提に立てば、
悩みは半分消える。
そこに覚悟がある。
ビッグダディの言葉⑤
高校生の時に自分は特別な人間ではなく、誰の役にも立たない人間だと自覚した。子供が生まれる前までは、人生はマラソンの様に自分のゴールを無理やり決めようと考えていた。子供が出来て、子供達を世の中に出すために自分は存在しているんだ思って、気楽になった。人生はマラソンではなく駅伝の様に繋いでいくものだと思った。
私の思考
この視点は強い。
人生を“自己完結型”で考えると苦しくなる。
自分のゴール、自分の成功、自分の証明。
だが駅伝だとしたらどうだろうか。
バトンを繋ぐ役割だと思えた瞬間、
肩の力は抜ける。
自己実現から継承へ。
重心が変わると、意味も変わる。
ビッグダディの言葉⑥
年子の8人を義務教育9学年で育てた時期があるが、生活が常に緊張感がありリアルだった。自分は根本はいい加減な人間だが、その緊張感を外すことはできない為、子供がいなかったら社会の枠からはみ出してたかもしれないと思う。
私の思考
責任は不自由だろうか。
むしろ、責任があるから人は逸脱しないのではないか。
自由は放任ではない。
重りがあるからこそ、軸ができる。
子どもが自分を縛るのではなく、
自分を社会に繋ぎ止めている。
責任は制限ではなく、輪郭なのかもしれない。
まとめ
彼の言葉は過激だ。
だが一貫している。
- 悩みすぎない
- 削ることを恐れない
- 血に固執しない
- コントロールしようとしない
- 繋ぐことを選ぶ
豊かさを守る生き方と、
削ってでも繋ぐ生き方。
どちらが正しいかではない。
どちらを選ぶかだろう。
少なくとも彼は、
“覚悟のある側”に立っている。
そこに私は、思想としての強さを感じた。


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