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便所コウロギが教えてくれたモノとは。

本質Note

概要

カマドウマ(便所コウロギ)の生態を調べていた。

暗闇で湿度が高い場所を好むらしい。
そこでふと、沖縄の「ガマ」を連想した。

先日、ひめゆりの塔 を訪れたばかりだったからだ。

だが、展示や記録の中にカマドウマの話はなかった。

現代の感覚で言えば、
同じ空間にいるだけで飛び上がるだろう。

だが当時の人々の心理的優先順位は、
まったく違っていたのではないか。

そこから、「幸せ」の実感について考えた。


本質の深掘り

戦時中のガマの中。

想像できるストレスはこうだ。

① 爆撃
② 飢餓
③ 死体
④ ウジ・ハエ・蚊など実害のあるもの

この状況下で、
カマドウマはどう位置づけられるだろうか。

おそらく「証言に値しないレベル」のストレスだったのではないか。

逆に言えば、カマドウマで飛び上がる現代人はどれだけ恵まれているのかと。

だがそこで止まった。

「恵まれている」と理解することと、
「幸せを実感する」ことは同じだろうか。

ここで思い出したのが「知行合一」だ。


知行合一との接続

知行合一 という考え方がある。

知ることと、行うことは一体であるという思想だ。

頭で「幸せだ」と理解しても、
それは行動や体験を伴っていなければ、本当の意味では完成していない。

戦時中の極限と比較して
「自分は恵まれている」と考える。

それは“知”だ。

だが、

  • あえて不便を体験する
  • 不自由を経験する
  • 苦労の現場に身を置く

そうした体験がなければ、
“行”が伴っていない。

ただ「自分は恵まれている」と終わらせるのは、薄っぺらく思えた。


幸せはなぜ実感しにくいのか

幸せは、絶対値ではなく相対値だ。

苦労の振れ幅が大きいほど、
安定の価値は強くなる。

幸せは「足し算」ではなく、
「差分」で感じるものだろう。

だからこそ、

苦労を通過していない幸せは、
実感しづらい。

頭では分かっていても、
身体が納得していない。


まとめ

カマドウマの生態から、
戦時中の心理を想像し、
そこから幸せの構造を考えた。

人は優先順位でストレスを感じる。
そして幸せは、差分で実感する。

知っているだけでは足りない。
体験して初めて、実感になる。

だとすれば、

今の恵まれた環境を本当に味わうには、
あえて小さな不便や挑戦を選ぶことも意味があるのではないか。

幸せは、守るだけでは深まらない。
通過した苦労の分だけ、輪郭を持つ。

そう考えると、
「知っている幸せ」と「感じている幸せ」は、
まったく別物だと分かる。

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